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4人の男が造ったコースがアテネへの道程となった
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宮内 忍:自転車専門誌『サイクルスポーツ』編集長。中学1年生でサイクリングの魅力に目覚め、以来スポーツ自転車歴40年。大学時代はサイクリングクラブに所属し、日本各地をキャンピング車で走る。週末にロードレーサーを駆って、うまい物屋巡りをするのが楽しみ。いまや自転車伝道師的な存在の忌野清志郎と、幼稚園から中学校まで同級生。1995年サイクルスポーツ編集長就任。
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1998年4月。当時30代後半の4人の発案から、すべては始まった。
八幡浜在住のMTB愛好者、佐藤盛吉さんはじめ4人は「MTB本来の山中を縫うように続くコースを走りたい」という思いから、コース設営を思い立つ。白羽の矢が立ったのは八幡浜市の山中にある八幡浜市民スポーツパーク。
市役所に何回も足を運び設営の許可を得て、コース作りに着手したのが'98年4月。チェーンソー、鍬、斧などの道具を自前でそろえ、週末や仕事が休みの日に山に入り、まさに手作りでコースにしていった。そして、多くの人の手助けもあって、一周6.2kmの本格的なコースが完成した。
それは、私が知る限り四国で唯一といえる常設MTBコースだ。四国は、常設のコースもMTBの大会も少なく、競技志向の愛好者にとって満足いく環境ではなかった。それが、コースの完成で変わった。地元愛媛はもとより四国全県から、ライダーが腕を磨くためにこのコースに集まるようになった。
'99年3月には、今も続く市民MTB大会の第1回目を開催。「J1レースを開催するのが夢」で、2002年9月には、J2格式の「マウンテンバイカーズ・フェスティバル八幡浜」の開催にこぎつけた。J1は、日本の最高格式のMTBシリーズ戦で、J2はそれに準ずる大会だ。そして、地元の官民合わせた努力が実って今年5月30日に行なわれるアテネ五輪MTB代表選手選考会の誘致に成功する。
第1回目のJ2を開催する前、常設コースを造ってレースを開催するから、ぜひ誌面で紹介してほしいという連絡が地元からあった。レポーターともども八幡浜に飛んで、実際にMTBで走り2002年9月号にコースの紹介記事を掲載した。
ジグザグのシングルトラックおよびダブルトラックと、長いジープロードが組み合わされたコースで、MTBのいろいろな技量が試されるのが特徴。Jシリーズ開催コースで最もコーナーの数が多いのではないだろうか。作った人の苦労が忍ばれた。
このコースで練習する地元ライダーから有力選手も育ってきた。八幡浜で行なわれる五輪代表レースの出場権が懸かった、4月18日の2004年Jシリーズ第1戦小国大会で、今治市在住のチーム・フォード/スペシャライズドに所属する門田基志が5位で、菊間町出身でシマノドリンキング所属の白石慎吾が7位でゴール。このコースを知り尽くしている地元出身の2人がダークホースとして急浮上した。
4人のMTB中年ライダーの熱意から始まったコース造りが、四国にMTB大会をもたらし、選手を育て、アテネ五輪の入り口にもなったのだ。
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